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ケアマネのつぶやき

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複雑化する介護報酬

2021-11-14
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複雑化する介護報酬


  介護保険が提供するサービスは介護保険が始まったころから比べるとサービスの種類が増えると同時に、様々な加算がつくことになり大変複雑になっている。

介護保険で提供されるサービスはそれぞれに介護報酬という公定価格の料金が設定されている。それぞれの介護報酬にはサービスコードという6桁の番号が付けられている。最初の2桁はサービスの種類を表している。訪問介護は「11」、通所介護は「15」、介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)は「51」となっている。そして残りの4ケタはサービスの提供時間、方法、人員基準、施設基準などに応じて細かく分かれている。

例えばヘルパーが提供する訪問介護の場合、112049と言うサービスコードは30分以上1時間未満の身体介護をさすことになっており、475単位と決められている。この地域では1単位が10円となっているので、4750円である。その1割または2割を利用者に支払っていただくことになっている。

 多くの皆さんにご利用いただいているデイサービス(通所介護)の場合、そのデイサービスの規模により「通常規模型」「大規模型」「地域密着型」に分かれており、それぞれに利用時間の長さによって変わってくる。例えば「通常規模型」デイサービスで5~6時間の利用は152341というサービスコードで567単位となっている。さらに、これに加算がつく。どの加算をつけるかはそれぞれの事情所によって違うが、入浴した場合、入浴加算Ⅰ(40単位)または入浴加算Ⅱ(55単位)が加わる。加算はその他「「生活機能向上連携加算」「ADL機能維持加算」「栄養アセスメント加算」「口腔機能向上加算」等があり、介護報酬が改定になるたびにこの加算は増え続けている。加算だけでなく減算というのもある。この結果介護保険創設の頃よりサービスコードの数は14倍に増えているといわれている。

 特に加算が多いのが老健施設の提供するデイケア(通所リハビリ)である。この地域のある通所リハビリの事業所のサービスは8種類の加算がついている。これら加算の意味を利用者の皆さんに説明することはほとんど不可能であると言っていい。例えばそのうちの一つに「科学的介護推進体制加算」という今年から新設された加算がある。これは利用者にいったいどのように説明するのであろうか。

 こうした介護報酬の複雑化の結果、介護保険というものが利用者からみて大変わかりにくいもの、関係者からすると説明するのに大変苦慮するものとなっている。本来介護保険は「被保険者の選択に基づき、適切な保健医療サービス及び福祉サービスが、多様な事業者又は施設から、総合的かつ効率的に提供されるよう配慮して行われなければならない。」(介護保険法第2条3項)のであるから、そのサービスのわかりやすさは大切な原則でなければならないと考える。利用者にもわかりやすい、ケアマネジャーから言わせれば「説明可能な」介護サービスの料金体系であってほしい。改めて、介護報酬の簡素化が望まれる。

同時に、こうした介護報酬の複雑化は、現場における事務的負担の増加を生み出す要因ともなっている。

では、なぜこのようにサービスコード数が増え、複雑化しているのか。それは、国が報酬全体を抑えるため、基本単価に手を付けずに「●●を実施すれば加算」「××を満たさないと減算」といった形で、政策的誘導を含め加算あるいは減算措置を相次いで設定しているためである。つまり、コード数増加の背景には介護保険財政の逼迫という問題があることも指摘しておかねばならない。

ケアプランを描く

2021-11-02
注目NEW
ケアプランを描く

  介護保険のサービスを利用するときは必ず必要とされるのがケアプランである。正式には居宅サービス計画書(在宅の場合)と言われている。介護認定を受け何らかのサービスを利用している人なら必ず見たことがあるはずである。

ケアプランとは何かということを教科書的に説明すると次のようになる。要介護者が、理想とする生活を実現するための解決すべき課題を見つけ出し、解決に向けた具体的な目標を立て、それに従い、どの様な支援を、どこのサービス提供機関から、いつ、どこで、どの程度利用するかを、利用者や介護者の意向と、ケアマネジャーを中心としたケアチームの専門的な知識も反映させ、これらを一覧表にしたものである。

やや難解な説明をしたが、この計画の原案を作成するのがケアマネジャーであり、利用者の思いや現状や今後の予測も含め、いかに適切に表現できるかということにケアマネジャーの能力が問われている。

 

今年3月31日、厚労省は「居宅サービス計画標準様式及び記載要綱」の改訂版を示した。

「記載要綱」はケアプランに何を書くべきかを示したものである。この改定された記載要綱はその一部に大変現場のケアマネシャーを悩ませる内容が含まれている。居宅サービス計画書(1)の「利用者及び家族の生活に対する意向」の欄が「利用者及び家族の生活に対する意向を踏まえた課題分析の結果」という表題に変わった点である。そしてその説明として「その際、課題分析の結果として、『自立支援』に資するために解決しなければならない課題が把握できているか確認する。そのために、利用者の主訴や相談内容等を踏まえた利用者が持っている力や生活環境等の評価を含め利用者が抱える問題点を明らかにしていくこと。」

要約すると、利用者家族の意向ではなく、意向を踏まえた自立支援に向けた課題分析の結果を書くということと読める。では実際にこの欄に何を書くのかということになるとよくわからない。確かにケアプランのこの欄に、「デイサービスに行きたい」「家事の支援をしてほしい」といった利用者の要望(デマンド)のみを書いたものも散見される中で、あえて「課題分析の結果を書く」と言いたかったのかと想像はするが、それにしても今回の記載要綱の改定でこの欄にはいったい何をどのように書くように求めているのか、現場のケアマネジャーは頭を抱えることになる。

 全体として記載要綱を読んでいて思うのは、厚労省に小学生に教えるようにそんなにこまごまと示していただかなくても結構です。もっと現場のケアマネジャーを信用してくださいと言いたくなる。

 批判ばかりしていても仕方ないので私が考えるケアプランには何を書くべきかの基本を次のようにお示ししてみたい。

 

(1) わかりやすいケアプラン

ケアプランは「利用者が地域の中で尊厳ある自立した生活を続けるための利用者本人の計画であることを踏まえ」(記載要綱前文)利用者や家族にとって理解しやすいものでなければならないと考える。そのため、専門用語は使用しない。わかりやすさと適切な文章の表現が必要。

(2)自立支援のケアプラン

 自立支援とは介護保険の中ではよく使われる常套句になっているが、決して一様な自立があるわけではない。プランの中ではその利用者にとって重要な自立の中身が明らかにされなければならい。ある人にとってはADLの自立が当面の重要な課題になるだろうし、また別の人にとっては支援を得ながら自己決定して暮らしていくことが大切になる場合ある。ケアプランの中ではそれぞれの自立の課題と解決の道筋が示される必要がある。

同時にケアプラン作成の過程を通して利用者、家族の参加をうながし、利用者主体のケアプラン作成が重要となる。その過程では、ケアマネジャーからの情報提供、そして何よりも利用者の自己決定を保障した支援が不可欠である。

(3)根拠あるケアプラン

 ケアプランには説明責任があると考えている。アセスメントがおこなわれ、ニーズが確定され、その根拠の上にサービスが組み立てられることが必要となる。ここでは、アセスメントからケアプランのサービス内容までの一貫性・整合性が求められる。言葉を変えれば、サービス優先ではない、アセスメントにもとづくニーズ優先のケアプランということともいえる。また説明責任という点では第2表の「生活全般の解決すべき課題」にはその課題が必要となっている原因、背景もしっかり書く必要があると考える。

(4)その人らしいケアプラン

 その人らしい暮らしの姿が描かれたケアプラン、つまりケアプランの個別化が大切である。とはいえケアプランにそれを描き出すことは容易ではないと考えている。利用者への深い理解なしには困難である。したがって最初のプランからそれができるわけではないので、ケアプランの回を重ねることで個別性が描かれていくことになるのではないか。この課題はケアプラン全般について書かれるものではあるが、主に「利用者及び家族の生活に対する意向を踏まえた課題分析の結果」の中で描き出すことになる。

 

たかがケアプラン、されどケアプランである。

あなたは長生きしたいですか

2021-10-30
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あなたは長生きしたいですか

  クリニックで訪問診療に携わる現役医師であり小説家でもある久坂部羊は老いの現実を次のように語っています、「たいていは80歳半ばから、全身が猛烈な老化現象に攻め立てられ、起居に激痛、食事に誤嚥の危機、排せつに粗相の連続、目は疎く、耳は遠く、味覚・嗅覚も鈍麻し、もの忘れは激しく、あらゆる不定愁訴に悩まされ、若いころから喫煙していた人は息をするにも努力を要すという状態になる」と厳しい。また、「終末期医療は困難な選択の連続」であり、「望ましい最期を迎えることは、よほど幸運に恵まれないとむずかしく、たいていは嘆き、苦しみ、悔みながら亡くなっていく」

 高齢期について聞いたある調査によると、「高齢者になることに不安がある」と答えたのが83%と、多くの人が老いることに対して不安を持っています。

また、「長生きしたいと思うか」の質問に「思はない」と答えた人が41%という数字からは「長寿」という言葉とは程遠い現実を多くの人たちが認めているのかもしれません。

 

 自らの老いを認めようとしない高齢者もいます。人様の世話にならないようにと頑張る高齢者が時として、他者の意見を受け入れず孤独で悲惨な現実をむかえることもあります。「健康であり続けたい」「年寄りはごめんだ」というように老いを否定して健康ということにこだわり過ぎるのを「健康病」というそうですが、これはこれで困った病です。

 

国が示す介護保険の文章の中には、「介護予防」「自立支援」等の言葉が飛び交うが、こうした老いの現実の中でこれらの言葉がむなしく聞こえてしまうというのは私だけでしょうか。

一度、ケアマネジャーの皆さんに聞いてみたいと思っている。「あなたは長生きしたいですか」と。

 

超高齢者の心

2021-10-19
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超高齢者の心

先に示したように、日本老年学会と日本老年医学会が示した高齢期の区分は下記のとおりである。

65~74 歳 准高齢者 准高齢期 (pre-old) 

75~89 歳 高齢者 高齢期 (old) 

90 歳~ 超高齢者 超高齢期 (oldest-old, super-old) 

 

今回は90才以上の超高齢者といわれる人々のケアに関係して考えてみたい。今日、90歳を超える高齢者は決して少なくない。100歳前後の超高齢期の利用者を担当するケアマネジャーもいる。

近年、加齢に伴って身体的機能の低下、認知機能の低下、人間関係の喪失等ネガティブな状況が増えるにもかかわらず、こうした超高齢者の幸福感は決して低くない、というエイジングパラドックス(Aging Paradox)と呼ばれる現象が注目され、様々な研究が行われている。増井幸恵はこうした現象を老年的超越として次のように説明している中年期や前期高齢期までのいわゆる『生きがい』となるものを喪失しても,老年的超越という考え方や価値観の変化を発達させることにより、幸福の源となるものを変化させ、幸福感を高く保って生きている超高齢者や百寿者の姿」※1があるとしている。たしかに我々ケアマネジャーもこうした超高齢者に出会うことがある。

この老年超越とは、スウェーデンのTornstamという社会学者が1989年に提唱した概念であり、高齢期に高まるとされる『物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化』と定義されている。この定義はやや難解であるが、日本人的に言えば「『おかげさま』といった他者により支えられていることと認識し、他者への感謝の念が強まる」「神仏の存在や死後の世界など宗教的またはスピリチュアルな内容を認識する」「あるがままの状態を受け入れる」といった超高齢期の高齢者の心理の変化があると考えられている。こうした変化が老年超越といわれ、超高齢者の穏やかな幸福感というものをもたらしているのではないか。また、自分自身や身近な人の病気、死別、離別という人生の危機を経験した人のほうが老年的超越がたかくなるとも言われている。

 しかし、現実はこうした超高齢者ばかりではない。「早くお迎えに来てほしい」「長生きしすぎた」「この年になって生きている意味もないのが辛い」と訴えられる超高齢者も少なくない。こうした超高齢者にケアマネジャーはどのように答え、適切なケアを提供できるのであろうかと考える。百歳近くなれば同級生はもちろん知人や親しくしてきた人達もすでに冥府の人となったり、たとえ命を保っていたとしても施設に入所してしまっている。「そして誰もいなくなった」状態である。そこには深刻は孤独があるのかもしれない。今日、社会的孤立は高齢者にかかわらず大きな課題であるといわれているが、超高齢者のそれも高齢者ケアの課題であり、ケアマネジャーにとっては実践的な対応を求められているといえる。

ここで高齢期の定義にかかわって述べてきたが、もちろん一人一人の高齢者にとってはさまざまであり、老いというのは百人いれば百通りの老いがあることはお断りしておかねばならない。しかも年齢には暦年齢と主観年齢がある。主観年齢とは、自分が幾つと感じているかという年齢である。高齢になるとどちらかというと主観年齢と暦年齢の差は大きくなるといわれている。「若くありたい」という思いがそうさせるのであろうか。「デイサービスなんて年寄りのいくところ。そんなところに私は行く気はない」と言い放つ80歳代の高齢者の主観年齢はいったいいくつなのであろうか。概して主観年齢と暦年齢の差の大きい高齢者は自らの老いの受容がうまくできなくて、必要な援助を受け入れにくいようである。

 

※「超高齢社会における生きがいと老年的超越」増井幸恵 「生きがい研究」27

高齢期はいくつから

2021-10-11
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高齢期はいくつから


 わが国を含む多くの国で、暦年齢 65 歳以上をもって高齢期とされている。し かし、近年、この高齢期の定義が現状に合わない「若返り」ともいうような 状況が生じている。今の高齢者の「若返り」を明らかにした代表的な研究に、健康・生活機能・死亡の予知因子であることが知られている「通常歩行速度」を、1992年と2002年で比較した「日本人高齢者における身体機能の縦断的・横断的変化に関する研究」がある。その結果を見ると、2002年の高齢者は1992年の高齢者よりも“約10歳程度”若返っていることが確認できたといわれている。一昔前の、60歳の還暦とともに隠居して暮らすといった高齢者の姿と今の高齢者を比べると、こうした高齢者の「若返り」ともいえる状況は多くの人が実感できることだろう。

こうした中で、2017年1月に、日本老年学会と日本老年医学会が高齢者(期)の定義を見直す提言を行った。

65~74 歳 准高齢者 准高齢期 (pre-old) 

75~89 歳 高齢者 高齢期 (old) 

90 歳~ 超高齢者 超高齢期 (oldest-old, super-old) 

もちろん、個人差はあるものの、70代前半までは元気にボランティアや趣味の活動に精をだしたり、仕事に従事する人も多い。この準高齢期という言葉は十分納得のいく定義ではないかと考える。

 同時に、こうして元気な準高齢期にある人たちに「わが事」として地域の様々な課題の解決に参加してもらうことができるかどうかが、「地域共生社会」の成否にかかわっているともいえる。

 

こうしたまだ元気な準高齢期を過ごし、70歳台後半から80歳を超えると急速に身体の不調を訴え、衰えを感じる人が増えるようだ。先には元気な高齢者たちを「若返り」と紹介したが、佐藤真一はそうした現象を「年をとってからの老化の速度が遅くなった」※1と表現している。その結果「ひと昔の人は50歳くらいから徐々に弱っていったのです」が「75歳か80歳ぐらいまでは元気でいて急に弱るのが現代人のパターン」と佐藤は説明している。これまでも多くの高齢者と接してきたケアマネジャーとしても、75歳くらいから徐々に弱り、80代の声を聴くとともに一気に身体の不具合を訴え80歳代には要介護状態になる高齢者が多いように実感している。「たいていは80歳半ばから、全身が猛烈な老化現象に攻め立てられ、起居に激痛、食事に誤嚥の危機、排せつに粗相の連続、目は疎く、耳は遠く、味覚・嗅覚も鈍麻し、もの忘れは激しく、あらゆる不定愁訴に悩まされ、若いころから喫煙していた人は息をするにも努力を要すという状態になる」※2と記しているのは医師であり小説家でもあった久坂部羊である。

                          (つづく)

 ※1「ご老人は謎だらけー老年行動学が解き明かすー」佐藤真一著 光文社新書

※2「廃用身」久坂部羊著 幻冬舎

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